4nx137y

安価のテーマで記事を書く。

ID:dTFrm9qm

南半球について

流石に投稿数4で終わるのは申し訳ない...
毎日誰に褒められる事なくコツコツと続けられる人はすごいと思いました。
自分は社会人として、特に自己研鑽を励まなければならない職種に所属していますが未だにコツコツ頑張ることができず、少し悩みになっています。

今日の話は「南半球について」
自分がIT好きになり、この業種職種に携わるきっかけになった話が南半球にあります。

小学2年生の夏頃、外大が近くにある自分の小学校に、オーストラリアから転校生が来ました。
ジェイミーくんです。
苗字が日本語なのに、名前が英語でちょっと面白かったです。
彼は日本語が話せず、僕らは英語が話せず、結構複雑な環境でした。
とりあえず先生に便利な英語を教えてもらった子がジェイミーに「What is this?」ばっかり聞いてたのを覚えています(俺も真似した)

当時の自分はサッカーなどのスポーツが大好きな、いわゆる「足の速い男子」でした。なので、休み時間にジェイミーもサッカーに誘ってみました。
言語の壁はありますが、「手を使わない」「ボールをゴールに入れる」は世界共通らしく、めちゃくちゃ楽しめました。
一方で、小学生に大人気のドッジボール、ジェイミーは「アウト」の意味が分からずガチギレしてました。言語の壁は高かった…

自分の小学校は、教育実験校?なので割と先進的な取り組みが結構ありました。
中でもパソコンを使った授業が行われていました。
パソコンにはフィルターがかかっており、yahoo!きっずのゲームなどは、当時もブロックされており、唯一みんなが遊べるゲームは「一太郎スマイル」ぐらいでした。(ローマ字を知らぬ僕らが面白ムービーを知ったのはその1年後です)

しかし、オーストラリア出身のジェイミーはURLに直打ちで海外のゲームサイトに飛んでいました。
当時IEはアドレスバーと検索バーは別の役割を持つ物でchromeみたいに統合されていなかったので、絶対にあれはURL直打ちです。記憶力すごいと思う。
流石に、日本の教育委員会もオーストラリアのサイトに対策が回っていなかったので、ゲームし放題でした。
自分の横の席にいたジェイミーは自分の横でヒーローになっていました。
さながらハッカー(当時は知らないけど)のように、タイピングしまくってDSしか知らないような自分たちの前で面白いフラッシュゲームをする姿はマジで…ヒーロー…

聞いても言葉が通じないので、結局どうやって入ったのかわかりませんでした。
その出来事の約1年後の夏ジェイミーは帰国しました。
それから自分は、PCについて自分なりに調べたり、姉の友達に聞いたりして、自分もローマ字を学び、検索しまくって、ジェイミー亡き後ジェイミーと同じ事をしてました。
土日にPC教室開放があったので、よく行ってたのですが、親父が「のぞきっくす」のリンクにあった海外ゲームを遊ばせてくれた記憶があり
自分が覚えていた情報がその平仮名タイトルのみだったので、当時ボランティアで来ていた大学生に代わりにそのアダルトサイトをググらせて、うまくアクセスできなかったという記憶があります。

当時身についたスキルとしては、教師から生徒に行われる遠隔操作(強制シャットダウン)などを阻止するためにタスクマネージャからプロセスキルを行う事(監視もキルできた)や、webフィルターを超えきれないサイトはGoogle翻訳上にリンクを貼り付けてサイト内ブラウザーで対処するなど(こっちは比較的新しめ)でした。
家ではなけなしの小遣いでUSB型のwifi環境を導入したりコードフリークから16進数の存在を理解したりなど、当時の野放し、無教養な子供としてはそれなりのITリテラシーはあったのではないかと思います。

そういえば、親に英語を書いてもらい、ジェイミーにメアドを聞いた事もあるのですが、スラスラと教室で書いてくれたメアドにメールを送っても返事がなかったことがありました。絶対適当に書いてたな、と今更思い出しました。(当時の文化的に暗記してたとしても、小2の記憶力じゃミスとかあるだろうし仕方がない)

オーストラリア人と交流したのは、あれが最初で最後ですが、気性は荒々しかったです。
当時の不良小学生でも字を適当に書いたり、居残りテストをバックれたり、もらった竹モノサシでチャンバラやって、初日でぶっ壊して二刀流!とかバカやってたのですが
ジェイミーは台拭き用の水バケツに唾を吐いたり、椅子をぶん投げてガラスを割ったりしてました。


1977文字
国際交流好き(語学はダメダメ)もこの体験から来ている